思えば昔から、僕はいつだって他人を羨んでいました
勉強や球技も苦手で、何をするにも平均以下
人見知りでまともに会話することすらできない
勉強ができる人、運動が得意な人、ユーモアがある人、ルックスが良い人、異性からモテる人、絵が得意な人、楽器が弾ける人、色んな人がいたけど
自分には何もなかった
そんな凡人がなんとなくYouTubeを続けていたら、1年と数ヶ月で登録者数700人を突破したのだ
自分で言うのもアレだが、かなり驚いた
こんなどこにでもいる一般人の動画を好んで見る人間はいないと思っていたからだ
今回は、そんな僕がなぜYouTubeを始めたのかを話していこうと思う
YouTubeへの憧れ
僕は中学1年生の頃に、インターネットに繋がっているデバイスを手に入れた
なぜ手に入れたのかは覚えていないが、親が買ってきてくれたんだと思う
これをきっかけに、日常的にインターネットに触れるようになった
パソコンとスマートフォンが合わさったような掌サイズの端末で、画面タッチに対応、なおかつキーボードが付いていた
小さいノートパソコンのような感じ
当時はまだスマートフォンが世に出ておらず、画面をタッチして色々操作できるのは画期的だった
そうしてネットサーフィンしているうちにYouTubeと出会う
当時はどっちかというとYouTubeよりニコニコ動画の方が動画サイトの主流だったが
インターネットに顔を晒す=個人情報の漏洩という風潮もあり
今で言う「YouTuber」と呼べるような投稿者も少なかった
その時ハマっていたYouTuberは、はじめしゃちょーさん、もるさん、神山まやみかさんなどだ
そんな訳で、僕は中学生の時から生粋のYouTubeっ子だったのである
YouTubeを見るのが好きで、日課だった
いつしか「自分も動画を投稿する側になってみたい」と思うようになっていた
そして高校2年生の秋頃、YouTubeチャンネルを開設し、何本か動画を投稿した(1ヶ月ほどでチャンネルを削除してしまった)
そして大学1年の冬に、もう一度チャンネルを開設して動画を投稿した(これもまた2ヶ月くらいで削除してしまった)
顔を晒すことに抵抗があったり、色々あっていずれも長くは続かなかった
2度も挫折したにも関わらず、「動画を投稿したい」という思いが消えることはなかった
大学4年生の6月に就職活動が終わり
YouTubeをやるなら今が最後のチャンスだと思った
社会人になったら動画を撮る時間もないし、サラリーマンである以上、YouTubeで活動すること自体出来ないかもしれない
そんな葛藤もあり、人生で3度目のYouTube開設を果たした
そしてなんだかんだで社会人になっても動画投稿を続けており、今に至るという感じです
趣味として 自己表現の場として
YouTubeは自分がやりたいことをなんでもできる
自分が言いたいことをなんだって言える
自己表現に適したツールだと思っています
普段は会社員としてしっかりした大人を演じているので
YouTubeがありのままの自分を唯一さらけ出せる場となっています
会社では言えないようなことも発信でき、視聴者の方にコメントで反応をもらえて交流できる
それがストレス発散にもなり、気分転換になります
たとえ誰も見ていなくとも、そこには意味があって
思ったことや自身の生活を動画にすることで、数年経った後に自分で振り返れるように、記録として投稿していた節もありました
自分で撮った動画を何回も見返した
自分の手で作った動画には愛着が湧くものだと初めて知った
正直、側から見たらただの自己満足動画ばかり
にもかかわらず、数百もの人が自分のチャンネルを登録してくれていることはありがたいとつくづく思います
限界を感じたりもする
YouTubeにおいてもスキルや専門知識、スター性、要はその人間自体に魅力や価値が無ければコンテンツとして成り立たないことを痛感する
僕より後にYouTubeを始めた人にあっという間に追い抜かされるという経験を何度もしてきた
そういう人たちは決まって何か強い武器を持っていた
例えば、卓越したトーク能力を持っていたり、食べることが大好きでとっても美味しそうに食べる人だったり
そんな「才能」や「個性」を持つ人たちを見るとやっぱり羨ましく思う
他人を羨む自分、YouTubeを始める前と何も変わらないではないか
何事も他人と比べると、幸せを感じることを阻害してしまうのかもしれない
「マイペースにいこう」
口で言うのは簡単だけど、なかなか難しい
社畜の戯言でした
コメント