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学校の「良い子」は社会で評価されるとは限らない

会社員

僕は中高生の頃、先生から「勉学に熱心に取り組む勤勉な生徒」という評価を受けていた。

模試の偏差値は30〜40だったが、内申では5段階中オール4以上を常に取っていた

学校という世界は決まった時間に登校し、キチンと授業に出席し、宿題は言われた通りこなして、テストでそれなりに良い点数を取ることで評価される。

要は先生の言いなりになることで評価される簡単な世界である。

そしてなにより、勉強には1つの正解がある。先生の伝える解法を用いれば基本的に解けない問題はない。

もちろん解説を受けても、どうしても理解できない難問もあったりしたが。

小中高時代は授業や宿題に真面目に取り組んでいるだけで先生から褒められた。テストの点数より、授業に取り組む姿勢を重視されていたように思う。

会社員になった今、無遅刻無欠席でキチンと仕事に取り組んでいて偉いね、なんて褒められたことはない。

それが当たり前だから。出来なければ侮蔑の眼差しを向けられるだけ。

学生時代は自分がお金を払って授業を受ける、所謂お客様という立場だったわけで

社会人になると自分がお金を貰い、その対価として仕事に従事するという構図に変わる。

お金の流れが真逆なのである。

学校との大きな違いは仕事(学校で言う勉強)のやり方に正解がないということだろう。

学校での正義が「テストで高得点を取り、いい成績を取る」だとするならば、先生の言うことを聞き、教科書通りに問題を解けば達成できる。

会社での正義が「利益を出す」ことならば、会社の言いなりになることは大前提に、その上で自分で方法を模索して結果を出すことが求められる。

目的を達成するために努力をしなければならないという側面では、両者は似ているように見えるが、達成するまでのプロセスが異なるのだ。

とはいえ、結局は学校も社会も競争を強いられることには変わりないわけで。

長かった学校生活は従順な人間を育て、会社で問題なく集団生活を送れるように訓練するための期間だったように思う。

学校生活と会社員生活はとてもよく似ている。

行きたくもない学校に週5〜6で通わされて、それが会社に変わっただけの話なのだ。

そう考えると、人生とはなんだろう?という哲学的思考に陥ってしまう。

文明社会を保つために、誰かがやらなければならない仕事があることはわかる。

サボっている人がいると現代の便利な社会を維持できないのも理解できる。

それでも全ての人間に、もう少し時間的・精神的ゆとりのある生活を送る権利があってもいいと思うのだ。

もしも働かなくても生きていける世界になったら、働く人はいなくなり、便利なサービス・暮らしを維持できなくなるんだろうか。

働きたい人だけ働けばいい世界は成立しないのだろうか。

学校では「真面目でいい子」と先生から言われていた僕ですが、社会に出た途端問題児になってしまった気がします。

以上、社畜の戯言でした。

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