※この物語はフィックションです。実在する団体・人物とは関係ありません
彼は満たされなかった
ただ自分という存在を認めて欲しかったのだろう
オスとしての役割を求められることはあれど、それは一時凌ぎにしかならない。後には虚しさが残るだけだ
大衆酒屋。喧騒の中に俺はいた。馬鹿な大学生と限界リーマンが跋扈するこの空間は、ひたすらに騒々しい
そして俺も例に漏れず、この空間に馴染んでいるのかもしれない
『彼氏とうまくいってないんだよね。あいつ、可愛いアイドルが好きでさ。只の推しだと言ってるけど、その子と付き合いたいとか平気で言ってくるし。サークルの女子とも頻繁に飲みに行くし。あと、顔がカッコよくない。ほんと、嫌なところばかり』
彼氏に対する愚痴、か。あるあるだな。1年付き合っても、いや1年付き合ったからこそか?よくもまあぽんぽんと不満が出るものだと感心する
「別れないのか?」
『ん〜、別れたい…のかなぁ。よく分からないや」
先程の愚痴は本心のようだが、同時に女は彼氏のことが「好き」なのがわかった。要は独占欲からくる嫉妬だろう
『ところで君、カッコいいよね。冴えないあいつとは大違い。今度二人で飲みに行こうよ』
女は俺のことが気に入ったようだ。清楚じみた外見とは裏腹に、俗世的方向に燻っている
『私こう見えてお酒好きなんだ。どっちがたくさん飲めるか勝負しようよ』
それはきっと、この女にとっての免罪符なのだろう
彼女は満たされなかった
モテモテというわけでもないけど、彼氏作りには困らなかった
そんな私は、男勝りな性格というか、お淑やかな清楚系とは真反対だと自負している
そこは少しコンプレックスだったりするんだけど、だからこそ“ちょうどいい〟んだろう。不本意だけど
でも物足りない
思えば、今まで心から好きになれた人はいない
「ぷはーっ!やっぱり、一人で豪遊するのって楽しいわ」
「お、山田さん、凄い呑みっぷりだねぇ!何かあったのかい?」
今時では珍しい屋外にある屋台スタイルの居酒屋。江戸っ子店主の声が気持ちよく響く
「そ う な ん で す!聞いてくださいよ!あの野郎が…」
豪快にビールを呑み干したあと、彼女は語り始めた。宵はまだ始まったばかりだ
『あーあ、終電無くなっちゃった…。フラフラするし、ホテル行こっか?』
こんな展開を思い描いているわけじゃない。俺はいつも、流れに身を任せるだけだ
『彼?何それ、私知らないー』
女は全く悪びれず、蠱惑的に笑う。しかし、その姿は側から見れば恐ろしいまでに自然体であり、なんの澱みも無い。ただの魅力的な一美人である
それもその筈。女は名門お嬢様学校出身であり、両親からそれはそれは大事に育てられた箱入り娘だ
人間不信になるぜ、全く
それどころか、自身は被害者であるのだから、この行為は許されて当然という意思がそこに在る様な気がした
『あ、けど、手は繋がないよ』
キスやそれ以上はいいのか。その基準はよくわからない。彼氏に対する罪悪感…などはあるわけもないか
これが一時的な「遊び」だという俺への宣告と捉えるのは、穿っているだろうか
いや、単に人の目があるか否かの違いか
『さ、キスして。彼氏?〝今日は〟いないよ。もうその話はいいでしょ』
女は酷く面倒臭そうだ。興醒めさせてくれるなよ、と言わんばかり
「あぁ、そうだな」
これ以上、余計なことを考えるのはやめた
半年くらい付き合った彼氏と別れた
1番ムカつくのは、別れた直後に同じサークルの子と付き合いだしたこと
どうせ私と別れそうな間際、恋愛相談とかいう名目で逢瀬していたに違いない
あー、ムシャクシャする
「はぁ…なんであんな男と付き合ったんだろう?これ、別れる度に毎回言ってる気がするけど」
背も低いし、顔もイケメンとは言い難い。その上、女誑しのクズ野郎
高学歴で勉強はできるから、変にプライドも高かったし。何よりネチネチした性格が気に食わない
「…やめやめ。今この思考をしてる瞬間が人生でいっっっっちばん無駄!」
「フリーの今を楽しも。うん、そうしよう」
彼女は自分にそう言い聞かせ、桜道を横切ってずかずかと歩きだした
『まって、そろそろ彼氏にLINE送らなきゃ…!』
俺は事後、女のスマホで彼氏とやらにメッセージを送る。もちろん文面に違和感がないように
「いま、家に帰ってきたよ、っと」
せめてもの腹癒せ、或いは抵抗か
哀れなのはこの女の彼氏か、それとも俺なのかね
彼は人一倍、愛されないことを恐れていた
思えば純粋な目的で異性から求められたことは未だない
二章に続く