※この物語はフィックションです。実在する団体・人物とは関係ありません
❹の続きです

「もうやばい、締め切りが鬼すぎる!」
カフェの机に突っ伏したカナの声は、店内のジャズBGMよりも元気に響いていた。
「また同人誌?」
ホットココアを啜りながら俺が聞くと、カナは顔だけこっちに向ける。
「そう。即売会まであと3週間しかないのに、まだ下書きが半分。残り40ページ。徹夜コースだよ……」
「徹夜なんてしたら余計に線ガタガタになんじゃない?」
「うるさいなぁ。わかってるけどさ、描きたいものが頭から溢れて止まんないんだよ」
そう言って、カナはリュックから液晶タブレットを取り出し、見せてきた。
キャラクターの表情、ポーズ、コマ割り、細かい衣装のデザイン。どれも素人目に見ても上手い。
「相変わらずすごいな。」
素直に口から出た言葉に、カナはちょっと照れたように口を尖らせた。
カナの描く漫画は今までにいくつか見たことがあるが、本当に絵が上手く、そしてシナリオも凄かった。
「でしょ? 私、こういうとこだけは真面目なんだから。大学の単位はギリギリだけど」
彼女はいつも強気でからかってくるけど、こうして好きなことを語るときは不思議と子どもっぽく見える。
そのギャップがなんだか面白くて、俺はただ頷きながらココアを飲んだ。
〇〇
「あのさ、一緒にゲーム作ってみないか?」
「ゲーム?」
カナが目を丸くして顔を上げる。
「ほら、いわゆるノベルゲーム。絵はカナが描いて、俺がシナリオを書く。BGMとか効果音はフリー素材もあるし」
「……はぁーん、なるほどねぇ」
カナはニヤリと笑った。「おもしろいじゃん」というような顔。
「確かに私の絵、使い回せるし。漫画よりページ管理も楽かも。……ってか、あんたシナリオなんて書けんの?」
「一応、ギャルゲーは色々やったことあるし、アニメの脚本っぽいノリなら。あと妄想力にも自信ある」
「はい、出ました。さすが妄想族」
その日は軽口を叩く程度で、いつものように駄弁って解散した。
〇〇
数日後、俺はカナにシナリオのプロットを書いたノートを差し出した。
「ちょっと読んでみてよ」
「はいはい。どうせ中二病全開なんでしょ」
カナはニヤニヤしながら読み始めた。が、数分後にはその表情が真剣なものに変わっていた。
「……え、なにこれ。めっちゃ面白いんだけど」
「マジで?」
「うん。キャラ同士の掛け合いが自然で、テンポもいい。ストーリーも引き込まれる。私の好きなアニメ脚本みたい。……てか、これ本当にあんたが書いたの?」
呆れたように笑いながらも、カナの目は輝いていた。
「うわぁ、ちょっと燃えてきたわ。キャラデザ考えさせて!」
そう言って、スケッチブックを取り出すと、ペンを走らせ始めた。
「加子ちゃんは、こんな感じの子で……ほら!」
あっという間に可愛らしいヒロインが紙の上に立ち上がる。

「早っ!しかも、良い…!」
「こういうの得意なんだよ。シナリオ面白いと、勝手に頭に絵が浮かんでくる」
カナは完全にノリノリだった。この前まで「締め切りがー」って嘆いていたのが嘘みたいに。
その姿を見て、俺はちょっと誇らしい気持ちになった。
「……なんか、本当に作れるかもな」
「当たり前でしょ。やるからには完成させるんだよ!」
そう言うカナの顔は、妙に楽しげでドヤっていた。
〇〇
シナリオを見せてカナが目を輝かせるたび、俺は嬉しくて舞い上がった。
でも俺は勘違いしていたんだ。きっと、ずっと前から
――カナなら何を言っても許してくれる。
――どんな無茶や無礼でも、笑って受け流してくれる。
そんな風に思い込んでいた。
俺は甘えていた。
“カナだから”という理由で、敬意を忘れていた。
親しさにあぐらをかいて、無神経な態度を正当化してきた。
彼女に振られたときも、無意識に「カナなら聞いてくれる」と思って呼び出した。それもクリスマスイブに。
寂しさを埋めるために、カナを利用したのだ
寒空の下、待ち合わせ場所に現れたカナは、息を白くしながらも笑って言った。
「よし、じゃあ夜ご飯食べに行こう。せっかくだし、ちょっと豪華なのでも――」
その言葉を遮るように、俺は言った。
「……いや、いいや。夜ご飯は行かない」
自分で呼び出したくせに。
彼女の気遣いを、俺は乱雑に投げ捨てた。
カナの笑顔が、一瞬だけ固まった気がした。少し胸が痛んだ気がするが、自分でも何をしたいのかよくわからない。
そして小さく肩をすくめて「そっか」と呟いた。
その声は、いつもの軽口でも強がりでもなかった。ただの諦めだった。
今になって思う。
あのとき、カナは俺を励まそうとしてくれていた。
もしかしたら、俺のことを特別に思ってくれていたのかもしれない。
でも俺は、その気持ちを踏みにじった。
理由なんてない。
泣き言も愚痴も、彼女は嫌な顔ひとつせず受け止めてくれた。
だから俺は勘違いした。――カナなら、無条件に、なんでも受け入れてくれるって。
〇〇
ゲーム作りを始めて、数ヶ月後。大学卒業を控え、カナが一人暮らしを始めると聞いたとき、俺は我が物顔で言った。
「いいじゃん!じゃあさ、そこを秘密基地にしようぜ。原稿もゲーム制作も、そこでやればいい。いつから一人暮らし始めんの?」
自分勝手で、デリカシーもない一言。
その瞬間、カナの表情が固まった。
当然だ。そもそも俺たちは付き合ってるわけでもないし。まして就職のために一人暮らしを始めるのに。
「……あんた、ほんと無神経だね」
短く吐き捨てられたその言葉は、いつもの冗談混じりの軽口じゃなかった。
喧嘩することは今までにも何度かあった。小さいことから大きいものまで。俺が間違ったことをしようとした時には、カナは俺を見捨てずに正面から怒ってくれた。
けど、それらとこれは少し違う。
〇〇
カナはしばらくしてから、LINEでメッセージを送ってきた。
『ごめん。一緒に始めたことなのに無責任で申し訳ないけど、もうついていけない。ゲームは他の人と作ってください』
何度も読み返したけど、返す言葉が見つからなかった。
文章は淡々としていたけど、そこに込められた決意ははっきりしていた。冗談でも強がりでもない、本気の距離の取り方だった。
カナに甘え続けた俺の身勝手さが、最後に突きつけられたんだ。
そうして、俺たちの関係は終わった。
静かに、けれど確かに。
カナとのトーク画面を閉じたあと、胸の奥に広がったのは、怒りでも悲しみでもなかった。
ただ、ぽっかりと穴が空いたような虚しさだけ。
思えば、カナと過ごした時間は、俺にとって「逃げ場」だったのかもしれない。
放課後に寄るカフェも、終電間際のカラオケも、アニメを語り合った日々も。
けれど、その安心に溺れて、俺は大事なことを忘れていた。
――彼女もまた一人の人間で、俺と同じように悩み、考え、生きているということを。
もう取り戻せない。
メッセージを送っても返事は来なかった。
ゲームの続きを語り合う日々も、もうない。
カナの存在が俺の中から消えたわけじゃない。
けれど、それはもう「過去」としてしか存在しない。
――虚しい。
ただ、その一言に尽きた。
END


